横手のかまくら

赤門前かまくら
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羽黒のかまくら


かまくらとミニかまくら

秋田県横手市


お祭りを楽しんでください!地図で会場を!

2月15・16日

会場は(本来は市内全域)
通称
☆ かまくら通り(二葉町)
☆ かまくら広場(市役所前)
☆ お城山かまくら村 (横手公園)

雰囲気は羽黒町や
静かな裏通りにある、
一般家庭のが良いと思う。
中に入れてもらえたら
楽しんでね!。
★ 南小学校や
☆ 川原の
☆ ミニかまくらも
☆ メルヘンですよ!。


今,子供達は、「入ってたんせ!」「あがってたんせ!」 「あまえこ(甘酒)飲んでたんせ!」 と、 まわりの人達に呼びかけて、甘酒や餅を振舞っていますが、私が子供の頃は、まず一番に 『おしず(清水)の神さん拝んでたんせ!』 と、声をかけた。
(かまくらの中正面には神棚が有り、水神様が祭られている。)
これを忘れてはという思いがあった。
もちろん、間接的に「お賽銭をあげて拝んで下さい」 という呼びかけである。
水神さんにお賽銭をあげてもらう為に、呼びかけたのである。
正月のお年玉(やせまっこ)と言っても、多くもらえる事も無く、かまくらに上がったお賽銭を、次の日のぼんでんを見に行く時の小遣いとして、兄弟で分けるのを楽しみにしていた。

日頃,、子供を相手にしない親父が、何も言わず仕事の合間に3日くらいでかまくらを作って、当日夕方までに電灯線までセットしてくれた。
母親は 「何も用意しねよ!」 と言いながらも、炬燵の中に厚く布でくるんだ容器で、しくじらないようにと温度管理をし、「あまさけ」 を作ってくれた。
当日は、あとは自分達でやれと、「甘さけやもち、みかん・寒天・豆腐かすてら・がっこ(漬物)等」 を、それぞれお盆や皿に用意してくれている。
もう嬉しくて、重い火鉢を運ぶのも、面倒な敷物の準備も張り切ってやった。
辺りが暗くなると友達や近所の人達が、お賽銭を上げ拝みに来てくれたし、見知らぬ観光客からおみやげをもらったり、今度は近所のかまくらへ行ったり夜遅くまで遊び、それはもう楽しかった。



★ かまくらには、忘れずに小銭を持ってゆき、
★ 是非ともお賽銭を上げて水神様をお参りして欲しいと思います。
★ そして沢山のもてなしを受け、楽しんで頂きたいと思います。


昔はこんな「かまくら」も!
(昭和30年頃、親父が作ってくれた「かまど型のかまくら」。
居るのは、近所のおねえさん達。)

「かまくら」とは

雪で作った祠(ホコラ)・雪室(ユキムロ)である。 正面に神棚を設け水神様を祭る。一年にかまくらの一晩だけ、子供達は夜更かしを許されお互いに行き来し、 飲んだり食べたり遊んだり楽しく過ごす。僕らの場合は大人になっても、自分達で作り自分達が入って酒を飲み交わし楽しんだ。
横手のかまくら
堀田さん宅のかまくら、職人技こだわりのかまくらを!
皆さんが持っているイメージとは、ホンワカ・フンワリの可愛らしい優しいものと思われます。出来上がりは確かに、新雪をかぶれば巨大な綿帽子といった感じですが、作る時は雪を積み踏み固め、中を掘った時に壁になる部分は絶対に崩れたりつぶれたりしないように、十分に注意をしながら繰り返し積み固め、徐々に高くしてゆき、背丈くらいの所からだんだんに円め天井を作る。この作業が大変なのです。
そして2、3日して落ち着いた所で今度は掘っていくわけですが、踏み固めて凍った雪は容易に掘れない。だんだん横穴状になると、今度は掘る姿勢が窮屈になる、雪もかき出しにくい。ここまででも十分に重労働なのです。

先人達は子供達に楽しい一晩をすごさせたい一心だったのだと思います。そこには町のためだとか、観光客のためとかはなかったと思います。
素晴らしいのはなによりその点だと思います。
現在のかまくらとは、やはりちょっと違うと思います。


「かまくら」ですよ!

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