俺らの時代の雪まつり

ぼんでん祭り 旭岡山神社梵天奉納 (2月17日)



 毎年 2月17日
 秋田県でも特に雪の多い 豪雪地帯 にある 横手市 の冬は寒い。大概朝方は冷え込み道路は凍って滑る。
だからそれなりの装備が必要だ。靴では滑る、昔から足には、しべ(わらじ)だ。藁であるから途中で壊れることもある、だからもう一足腰に下げておく。
あとは吹雪いても大丈夫なように、手拭いでほおかぶりをして、とまあこんな感じかな。
 今は皆サガシ(賢い)から、寒くないようにモヨッテ集まるが、オラワゲドギ(自分が若い時)なば、朝まからすでに裸で気合の入ったアンコ(若い人)達がいた。
 梵天の無事奉納を祈念し、怪我の無いよう塩と梅干しを口に含み清め、皆で乾杯。
記念撮影をしたら出発だ。
 祭りの本番は山内道門(「さんねみちかど」、鍛冶町から水上・今の平和町に曲がる角)前から始まる。
 昔は四日町通り(もっと前は鍛冶町通り)に集合し、そこからは並んだ順に行進し、山内道門前で先陣争いの開放の花火の上がるのを待つ。
現在は市役所前に集合しているが、山内道門を前にした時の気持ちは、今でも変わらない。
 【・・・ところが最近はチョット、拍子抜け・・・そこで!ここ数年とは少し違いがありますが、自分自身が一番と感じた時の様子を書いて見たいと思います。】

 梵天は,奉納団体名と 五穀豊饒・家内安全・商売繁盛 等を祈願することを裏書きし,表には 「奉納 旭岡山神社 敬白」 と書かれた 制札(せいさつ) を先頭に進んでゆく。
順に行進してきた梵天が、先陣争い解放前に鍛冶町通りに一杯に入って来ている。
 先頭の方では5、6本の梵天の制札を前に出し、開放になっても自分たちの梵天が良い位置を保ち進めるように中央を意識して梵天は立てられる。
水上通りは鍛冶町通りより狭くなるので後ろから勢い良く来られると、すぐに道路の端に押し出され梵天を倒したり、容易に進めなくなるので、 数本の梵天が組んで、梵天を持って進める者 5・6名、あとは後方からの梵天の突進に備え、梵天の後方に集まる。
さしずめ人間バリケードだ。
 段々と己の身体に他からの圧を感じるようになる。
そうだ、もう後ろの方から限界に近いくらいに梵天が詰まって来ているのだ。
あちこちで 「ジョヤサッ・ジョヤサッ・ジョヤサッ・ジョヤサッ」 の掛け声で、上半身裸の若い衆がもみ合っている。
もう自分自身に気合いを入れていないと、胸も押され息苦しくなるくらい。
腕の位置も意識して自分の前に、足も踏ん張ってと思っても、
下手すると浮かされて自分でコントロール出来ないくらいだ。
 神社に奉納するということが同じであっても,ぼんでんを奉納する者たちの条件・考え方がそれぞれ違うので,それぞれ思惑もある訳で,動きが違ってくる。
奉納一番乗りを目指すぼんでんは,山に入ってからでは追い越すことができないので,この通りが勝負となる。
どんな位置からでも前へ前へと進めて来る。 当然前のぼんでんとは揉み合いになる訳で,多少ぼんでんが壊れること・人間も傷つくこと(喧嘩になることは必至)は,覚悟の祭りである。
 人数の少ない会も,先を急がざるをえない。それは,後になる程 「仁王門(おにぉうさん)」 「本殿」 で,前に立ちふさがり押し戻す相手が多くなり難儀になるからである。 その様なぼんでんは,この通りを進むのにも大変苦労する。
勢いのあるぼんでんには,道路の端へ押し出され追い遣られたり倒されたりする。
一度倒されたり端へ押しやられると,後から後から来るぼんでんに先を越され,なかなか先に進めなくなるのである。
前日の 『梵天コンクール』 で特選など上位に表彰された「豪華な頭飾り」の梵天や,大人数の団体の梵天等は周りとは関わりなく,進めて来るものもある。
いよいよ先陣争い、開放の花火が上がる。


   前が動くより先に、中程にいた今まで圧迫されていたところが、弾けるようにもがきだす。
まだ先頭がほとんど進んでいないところへ、前へ前へと圧力がかかって来るので凄い。
立ってるところがちょっと緩むと、足を少しも運ばなくても動きだすのだ。
梵天も倒れないように、足で突っ張りを支ったままでも進みだす。
下も滑ってはいるのだが,体が浮いたようになって動きだすのだ。
なんとか踏ん張って、自分達の梵天を確実に維持しようと、夢中で頑張るしかない。
もちろんこの間も、梵天は一人で持って歩き進めるのが基本だ。
ただでさえ重い梵天である。
梵天同士もぶつかり合うし、押されもする。
これを倒さずに進めることに、男達は意地を張るのだ。
 本郷橋を渡る頃には、大体順番が決まり進んでくるが、この橋を渡る時、風の強い日は気を付けないと大変なことになる。
あとは踏み切りを渡り国道を横切り、大沢橋を渡れば、どこの梵天も奉納に向けて準備を始める。
 先ず梵天を倒し、頭飾りを取り外し、さがり(布や麻糸・真綿など)を本体の篭にくくり着けるか中に収め、鉢巻きも先をはみ出さないように結ぶ。
これは皆これから始まる奉納前のもみ合い・他との競り合い・妨害を最小限の被害で抜け出すための準備なのだ。
 準備が出来たら,(頭飾りは道路脇の雪に差して,帰りまで置いて行く)両側に杉の木立のある参道を「おにょうさん(仁王門)」に向かう。
1番に門に着いたからといって、そのまま門を通すことはしない。
必ず4・5本立たる迄待ち、先頭から3本位までが突入態勢を取ると,残りのぼんでんの若衆が門の中に入り、通させまいと気勢を上げる。
1本だけだと完全に戻されるが、3本一緒に入るとかなり窮屈になり、梵天もつぶれるが勢いは徐々に梵天側になる。
「ジョヤサ・ジョヤサ・ジョヤサ・ジョヤサ」
もうそこらじゅうが、熱気で湯気が上がる。
こうしているうちに、後続のぼんでんの若衆達も、門の裏側に回り阻止側に加勢に入る。
本当に凄いもみ合いである。
腕も足も力が入らないような状態になる頃、やっと抜け出せる。
 門を出るとすぐに山に入る、横にして来た梵天は今度は素早く立てないと、後ろから来てかぶせられ起こせなくなる。
みんなで力を合わせて何とか立たせ、1段づつ進め今度は梵天は数人で確保し止める。
他の人は一息入れたら、今度は阻止する側となる。
こうなると容易に門を通す事が出来なくなり、どこの梵天も大いに難儀をして出てくる。
なかには,さおが折れたり、鉢巻がちぎれたり取れたり、さがりが取れ竹篭が裸になってしまう梵天もある。
 それぞれが自分達の役割を果たしたら、山の上の本殿を目指してゆっくりと登る。
今までで十分に疲れているので、みんな口数が少なくなる。
出てくる言葉は決まって、「なんぼ来た。あと、なんぼ位だ。」
帰って来る言葉は大概、「半分来た、後半分だ、がんばれ」だ。
 急に歓声が聞こえてくる。
まもなく山頂、本殿前の坂の下まで到着だ。
この場所に立つと雰囲気がまるで違う。
皆張り詰めた気を感じ、鳥肌が立つ。
殿

   先ずこの坂の上にぼんでんを立てなければならない。
呼吸を整え、力を合わせて登るのだ。
我が会では責任者が一人で梵天を持ち、回りを囲んだ仲間に尻を押し上げてもらい登るのだ。
かなりの急坂なので、一人で最後まで倒さずに持って行くのは大変なことだが、ここは男としての見せ場であろう。
 一気に登りきり梵天を立てなければと、自然と気合いが入る。
皆で声をかけ合い、力を合わせ足場の悪い所を何とか倒さずに登る。
 いよいよ奉納だ。
本殿は既に熱く凄い状況になっている。
奉納の済んだ若衆や他の梵天の奉納を阻止しようとする者達が、本殿一杯には入りもみ合っている。
もう湯気が上がっている。
 先に制札が入る。奉納物である制札には皆手は出さず通す。
すぐに隙間はなくなり階段の上まで、若衆で埋まる。
そこに一本の梵天が頭から突っ込むが、しかし単純に行ったのでは簡単に弾き返され戻されてしまう。
それなりのテクニックもいるのだ。
 第一に本殿は階段を5段ばかり上がることになる、長い竿の梵天である、同じ角度のまま段を上がっていったら上につっかえる事になる。
だからそれなりのやり方がある。 上からの力勢いに対してや、頭を下げ竿の高さを加減する事や、後はタイミング。
 いよいよ自分達の番だ。
制札が神様に挨拶。これから自分達が奉納するぞと、※制札を本殿の柱や鴨居に打ちつけ、そして本殿を通す。
            ※これは今禁止となっている。
 態勢の整った梵天が3本,本殿勢の挑発や勢いのタイミングを外すように、まず1本目が突っ込む。
いくら勢いをつけていっても,間違いなく押し戻される。
だが押し戻す際に勢い余って中の人間も一緒に出てくる。
中の圧力が少しでも弱まるその時に、もう一度行くか,他の梵天が突っ込み揺さぶりを掛けることで、中の力を分散させる。
そこに、次々と重なるように突っ込む。徐々に梵天が入って行く。
 中の勢力も前に押し戻すほどの力はないものの、抜け出すにはかなりの圧力に抵抗しなければならない。
しかし,勢いさえつけば本殿の床には段差があるので、足下を取られ押されだすと中の力も揺らぐ、そこを一気に抜け出し、本殿を通り抜け、梵天を立てるのだ。

 こうして、40本前後のすべての梵天が、それぞれにドラマを作り上げ、そして山を降り、社務所に奉納物であるさがり等の布と制札を収め、お札を受けて町内に 戻る。
 朝冷えて凍った道も、奉納を終えて戻る頃には決まって緩み、春を迎える時が近いことを感じる。



昭和61年田中町青年親睦会梵天奉納をご覧下さい!




27年赤門前かまくら

目録・サイト案内
サイトマップをご覧下さい!