紹介 |
〇 (1:感謝)
フリーソフトWordsworthを使い、このサイトに関することばや事柄について、目にした資料や自分の思いを書いてみました。
それから横手の暮らし、子供の頃のことなど思い浮かんだら書き足していこうと思っています。
不適切な表現・言葉も含めて、これを存在させる意義と考えたいと思います。
使用させて頂きましたソフトの作者 濱地 弘樹さんに感謝いたします。
使用ソフトを紹介します。
Wordsworth - Version2.4.0 (C)1999-2002 濱地 弘樹(HAMACHI Hiroki)
○ (2:町を記憶しておこう)
僕らの町を記憶しておこう
記録ではなく記憶
いつか道に迷った時
道を見失いそうになった時
いやもうなりつつあるのかも
その時には戻ろう
迷わず記憶の町に
F |
Free will
私的環境心情吐露サイト
Free will からっぽの宝箱へ跳びます。
消防団関係のページもあります。
M |
MIST (ミスト:横手サイクリングクラブ)
昭和49年、鍛冶町「サイクルショップまみや」に集まる仲間で結成。
MISTはメンバーのイニシャルを並ベてつけたもの。
初期のメンバーで20年くらい、そして若いメンバーに引継がれクラブは現在も活動中。
初期のメンバーは、東北ラリーや輪行ツーリングを主体に、現在のメンバーは東北グランプリ出場・トライアスロンなどレースを主体に活躍。このクラブから競輪の選手も育って活躍中です。
あるばむ「仲間たち」に写真有ります。
→輪行
[←先頭へ]あ |
赤門 (あかもん:あがもん)
田中町、正平寺の門である。
横手にあっては町名住所などはいらなかった、「赤門のそば」で通用した。
子供の頃の俺らの遊び場。
野球(三角ベース)・缶こふみ・陣地とり・パッチ・玉っこ・釘さし・花火、内にある鎮守さん(子供の頃はチュウジサンと呼んでいたと思う。)では、馬っこのり・ゲーム盤(ほとんどが手作り)で遊んだり、年長者からは、色々な話を聞いたり教わった。という事は単なる遊び場ではなかったという事になる。
旭岡山神社 (あさひおかやまじんじゃ:あさひょうが)
横手市大沢字上庭当田
大同2年に坂上田村麻呂が創立したとされる。
神社は源義家、源義経、藤原秀衡や横手城主からも特別のはからいをもらった由緒あるものといい、
平安朝の作とされる薬師十二神将は「虫喰い地蔵」と呼ばれ現存している。
参考資料
稲 雄次 著
「カマクラとボンデン」 民族選書 Vol.20に、詳しく書かれております。
秋田文化出版社
→梵天
[←先頭へ]あたご会 (あたごかい)
同名の会がいくつも存在すると思われるが、我が会もその一つである。
あたご山のふもとで学び育った仲間達である。
あるばむ「仲間達」大切な写真がある。
既に3名が若くして亡くなり、貴重なものとなる。
愛宕山 (あたごやま)
南小学校裏の山である。つづいて水道山がある。
秋には学校で、「杉の葉拾い」という行事があった。
炭俵を壊れそうなほど一杯にして、背負って山を下りてきた。
冬に教室でストーブを着けるようになると、薪を燃やすのに必要なのだ。
あけびも採ったなあ。
遊び場でもあった。ターザンごっことか。
竹鉄砲作ったり、杉の実を玉に使ったり、「あれ! 杉の実口にほおばって」あの頃花粉症って無かったのか?
今は毎春花粉症に悩む。
山の裏周辺は、「沢」と呼ばれる地域である。
石坂洋次郎 (いしざか ようじろう)
1900年(明治33年) 青森県弘前市生まれ。弘前市、横手市で教員生活を送る。
主な作品に「青い山脈」「若い人」「陽のあたる坂道」「麦死なず」などがある。
特に1956年発表の「山と川のある町」は、氏が1926年から1938年まで教員として過ごした横手が舞台になっているらしい。
特定のモデルはいないが、横手での経験をもとに描かれているという。
横手には、石坂洋次郎文学記念館( 0182-33-5052)がある。
いちかける (いちかける)
30年くらい前、大町羽後銀行前にギター教室を開いた、佐々木洋一君(のちに横山町・ライブハウス「ブレス」をオープン。故人、)が創った「軽音楽村」そのなかの自らがリーダーとなり活動したフォークグループ。
当時某新聞社記者であった関根さんが詩を作ってくれたオリジナル「友よ、ふるさとへ帰れ」などを持って、今又注目されてきた歌声喫茶 新宿 「ともしび」に、飛び込みでオーディションを受け、20分のステージをもらい演奏してきたという経歴をもつ。
あるばむ「仲間達」懐かしい写真有ります。
内町 (うちまち)
本町・二葉町・幸町・横町
羽黒町・島崎町・御免町・野御扶侍町・根岸町
→島崎言葉
[←先頭へ]映画館 (えいがかん)
横手に映画館が存在しなくなって、何年位になるんだろう。
東映・第一・国際・映劇・阿桜館
あったよなあ!
学校でやる、講堂映画も楽しみだった。
送り盆まつり (おくりぼん:ふね)
横手の祭りの代表
8月16日の夜
詳しい事はここをクリック!
横手の送り盆(はじまりからクライマックスまで)に跳びます。
→花火大会、 蛇の崎橋、 花火大会、 横手ばやし保存会、 提灯
[←先頭へ]お城山 (おしろやま)
横手公園一帯を、通称 「お城山」という。
本丸には秋田神社が、武者だまりには噴水が、二の丸には「天守閣」をかたどった展望台がある。ブランコなどの遊具もある。
武者溜りから望む市内は、澄み切った青空の日や夕焼けの時などには、真正面に絵に描いたような秋田富士(鳥海山)を背景に、蛇行した旭川に架かる蛇の崎橋、そして手前には赤い鐘つき堂・観音寺があり、大好きな風景である。
たまには七曲がりでも登って、牛沼の方に下り、バラ園から明永沼の方まで散歩もいいだろうなあ!
→横手公園
[←先頭へ]か |
金沢公園 (かねざわこうえん)
横手市金沢地区にある。
ここについては、ある程度調べてから書きたい。
かまくら (かまくら:カマグラ)
秋田県横手市の冬の行事
2月15日から17日
ドイツの著名な建築家ブルーノ・タウト氏が、「夢の国の出来事なのか」「素晴らしい」と激賞した、雪と明かりのメルヘンを醸し出す行事である。
詳しくは「横手のかまくら」をどうぞ!
かまくら館 (かまくらかん)
夏でも「かまくら」が、体験出来ます。
横手市田中町 市庁舎隣り
記念公園 (きねんこうえん)
記念グラウンドと市民会館がある。
南小・一中時代、運動会はここで行われた。
天気の良い日は決って、小さなつむじ風がおき、紙やほこりを舞い上げた。
桜が綺麗、たまにぶらり歩くのも良い場所だ。
→公園
[←先頭へ]きみまち橋 (きみまちばし)
今はもう存在しないが、「二の堰」 の 田中町と馬口労町との間に架かっていた橋。
昔、馬口労町が歓楽街であった為、親不孝橋とも言われたという。
「きみまち橋」なんとも粋な銘々だと思う。
→橋
[←先頭へ]規律訓練 (きりつくんれん)
通常点検・小隊訓練
規律訓練のポイント
に訓練のポイントを記載しています。
→第2分団、 消防団員の安全と健康、 横手市消防団、 消防訓練大会、 小型ポンプ操法
[←先頭へ]公園 (こうえん)
横手公園・・・お城山・牛沼・明永沼・スキー場・保養センター
記念公園・・・市民会館・記念グランド
金沢公園・・・
墓地公園・・・
八王子公園・・・
本郷公園・・・
花瑞木公園・・・田中町
光明寺跡公園・・・中央町
梅ノ木公園・・・
講堂映画 (こうどうえいが)
小学校の体育館、暗幕をして上映開始。
悲しい場面ではすすり泣きが聞こえ、正義の味方が助けに現れると拍手が起こった。
感動の映画の後は、おなご先生の目が赤かった。
小型ポンプ操法 (こがたぽんぷそうほう)
消防団として消火活動の基本となる。
小型ポンプ・吸管・2重巻ホース 3本・かんそう(筒先)・とび を用い
指揮者・1番員・2番員・3番員で行う。
さ |
さいさい (サイサイ:ドドロコ)
「ドドロコ、ドドロコ」
この音の響きに、幼い頃から夢中になっていた。
残月採り (ざんげつ)
送り盆の日、昼花火にスポンサー名の入った落下傘が開く、大人も子供も夢中になってその残月お追いかけた。
長い竹竿を持ち屋根に上がったり、風向きによっては田んぼや畑に入り、迷惑をかける事も合った。
→花火大会
[←先頭へ]島崎言葉 (しまざきことば)
横手の言葉にあっては、最上級の丁寧な話し言葉。
内町(かつて武家があった地域)言葉。
今は全く聞く事が出来なくなった。話す人がいないから。
→内町
[←先頭へ]市民会館 (しみんかいかん)
記念公園にある。
[←先頭へ]蛇の崎橋 (じゃのさきばし)
送り盆にはこの橋の上で、横手若衆が屋形舟で競り合いぶつかり合う。
いたましい犠牲者もでている。
子供の頃からサイクリングに参加してくれた、柔道の強かった大野耕二君、もう何年になるかな親父と同年輩の鶴川さん。
毎年思い出すよ。
その橋も老朽化し、平成13年秋に新しい橋になり街の様子も変わってしまった。
正平寺 (しょうへいじ)
街の真中にある大きく立派なお寺である。
小学生の頃、夏休みに駒沢大学の学生さんが合宿していて、子供達を集め勉強会を開いたり、「狂言」などをやって見せてくれた事など、印象に残っている。
小僧さん達も居て良く遊びに行っていたし、ほんじょうさんからいたずらをして叱られたり、御菓子を貰ったりした事良く覚えています。
消防訓練大会 (しょうぼうくんれんたいかい)
目的
消防団員の基礎訓練の確立によって、消防技術の向上と士気の高揚を図り、もって消防活動の有効適切な遂行を期する事を目的とする。(実施要領より)
平成14年7月7日 (日)
横手市消防訓練大会
会場
秋田ふるさと村・第4駐車場
実施種目
1) 規律訓練 2) 小型ポンプ操法 3) ポンプ車操法
市大会・成績
各種目の優勝分団が横手平鹿支部消防訓練大会に出場する。
平成14年7月7日の成績は
横手市大会成績第2分団情報にあり。
第2分団 ・・・ 総合優勝
小型ポンプ操法・・・第2位
規律訓練・・・第3位
7月28日 会場 大雄村
支部大会成績一覧出来ます。
横手平鹿支部大会は、健闘むなしく良い結果を出せずに終わりました。
→規律訓練、 消防団員の安全と健康、 第2分団、 横手市消防団、 小型ポンプ操法
[←先頭へ]消防団員の安全と健康 (しょうぼうだんいん)
消防団員等公務災害補償等共済基金製作のしおりを参照
安全の為に日頃から注意しましょう!
消防団出初式 (しょうぼうだんでぞめしき)
観閲 開始午前9時30分
2列横隊・各分団の間隔 2M
市内行進
4列側面縦隊・分列行進・分団の間隔 5M
式典 開始午前10時
次第
1、敬礼
1、開式
1、国旗に敬礼
1、君が代斉唱
1、表彰
○秋田県知事表彰
有功章
勤続章(35年・30年・25年・20年)
○秋田県消防協会会長表彰
功労賞
勤続章(15年・10年)
顕功章
○秋田県消防協会横手平鹿郡支部長表彰
勤続章(7年)
○横手市長表彰
勤続章(5年・3年)
無火災分団(15年・10年・5年・3年)
消防活動協力者
救急救助協力者
退職団員感謝状
1、市長告示
1、団長訓示
1、来賓祝辞
1、受章者代表答辞
1、万歳三唱
1、閉会
1、敬礼
制札 (せいさつ)
ここでいうのは、梵天の制札の事
幅 21cm
長さ 136cmの板に、奉納・旭岡山神社・奉納団体名・敬白と書く。
高さ 250cmになるように 180cmの竿をつける。
裏には、祈願・町内安全・五穀豊穣・無病息災・商売繁盛・交通安全・家内安全等を書く。
○○年二月 吉日と記す。
→梵天
[←先頭へ]銭湯 (せんとう:ユッコ)
亀の湯・鶴の湯・松の湯・みよし湯・万太郎湯・藤の湯・常盤湯 まだまだあったと思うが、今浮かんでこない。
[←先頭へ]た |
第2分団 (だいにぶんだん)
地域・・・駅前町・寿町・田中町・三枚橋・前郷一番町9番〜13番・前郷二番町を、担当する。
横手市消防団第2分団情報をどうぞ!
分団員を募集中であります。
→横手市消防団、 規律訓練、 消防団員の安全と健康、 消防訓練大会、 小型ポンプ操法
[←先頭へ]滝の沢 (たきのさわ)
裁判所の坂を上れば上野介台、そのまま真っ直ぐ道を奥に行くと、
山に入る。少し登ると沢側に入っていく小道がある。
そこを下りて行くと垂直に落ちてくる小さな滝がある。
いくつのも石仏が苔生してある。観音さんかな?
小学校の先生が最初に連れて行ってくれた「なべっこ遠足」、
やたら楽しくて、その後卒業してから仲間と先生を誘い何度か行った。
二十歳の頃は、仲間で生ビールの樽を背負って行った事もある。
田中町 (たなかまち)
横手の中心に位置し、市庁舎・かまくら館がある。
昔の田中町商店街は「おしゃぶり・おしめから医者・墓場まで」すべて他町内の御世話にならず調達出来た。
いま実に悔しい。
進歩発展を目指してきた筈なのに、なぜこんなに不便な街にしてしまったのか。
伝統町内として、「送り盆」そして青年会が頑張って「ぼんでん」を続けております。
提灯 (ちょうちん:ちょうぢんこ)
高張提灯
騎馬提灯
私が子供の頃は子供の数が今から比べると極端に多かった。町内の提灯には新しいのと古いのが半々くらい、送り盆の朝、先を競って町内の神社に「良いちょうぢんこ」を貰いに行った。
祭りにはその提灯を誇らしげに掲げて、「ヨヨーイ・ヨヨーイ」の掛け声、町内に返ってくるとそれを返しに神社に行って、キャラメルのご褒美を貰う、これが実にうれしかった。
今の子供達は提灯にぜんぜん興味を示さない、持ちたがらない。それどころかその子達の親がまず提灯の扱いを知らない。
こっちがびっくりする。中にろうそくに火が付いて明るくなるのであるが、懐中電灯と同じ扱いである、平気で斜めや横にする。
当然まわりに火が付く、燃やしてしまう、そして驚いているのである。こっちの方が本当にびっくりしてしまうよ!
今騎馬提灯も新調すれば一万円以上するという、毎年なんぼも焼かれたらもう大変である。
だれか父さん母さん達に提灯の取扱教室を開いてくれないか。
友よふるさとへ帰れ (ともよふるさとへかえれ)
瀬木 充 作詞 ・ 佐々木 洋一 作曲
1.
覚えているだろう ふるさとの春を
雪解けが 土の匂いを運び
やまなみ明るく 笑っているよ
そうだ恐れの時は 去ったのさ
この優しさを心のときめきを 語り合いたいな友よ
帰れ 帰れ友よ 帰れ 帰れふるさとへ
帰れ 帰れ友よ 友よふるさとへ ふるさとへかえれ
2.
忘れはしないだろう ふるさとの夏を
山なみに みどりの風がわたり
こま草がかれんに 咲いて招くよ
そうだ憂いの時は 去ったのさ
このあこがれを 心の高鳴りを 思い出にしたいな友よ
帰れ 帰れ友よ 帰れ 帰れふるさとへ
帰れ 帰れ友よ 友よふるさとへ ふるさとへかえれ
3.
思い出して欲しい ふるさとの秋を
巻雲が 穂波を空に映し
野ぶどうは つぶらな 瞳の輝き
そうだ迷いの時は 去ったのさ
この豊かさを 愛するよろこびを 分かち合いたいな友よ
帰れ 帰れ友よ 帰れ 帰れふるさとへ
帰れ 帰れ友よ 友よふるさとへ ふるさとへかえれ
♪ この詩は、新聞記者である瀬木氏(ペンネーム)が横手支局に赴任している時に、音楽活動をしている佐々木洋一君に注目、彼にプレゼントしたものである。
な |
中の橋 (なかのはし)
中の橋を渡り山の方が、根岸町。
通りの正面に裁判所の坂が見える。
今の橋に架け替えられるまでは、洪水で壊れた一部が川の中にあった。
西岡たかし (にしおか たかし)
俺の大好きなフォークシンガー。
「五つの赤い風船」のリーダーでもある。
二十代によく歌った。
「遠い世界に」「恋は風に乗って」「母の生まれた街」「青い空の彼方から」
特に「血まみれの鳩」「まぼろしの翼と共に」などは、涙が出るくらいだ。
すべて歌詞を紹介したいが、残念!
誰かに聞いて下さい。
は |
橋 (はし)
旭川(横手川)にかかる橋。
蛇の崎橋
学校橋
碇の橋
本郷橋
上の橋
中の橋
旭川橋
きみまち橋(二の堰)
富士見大橋(陸橋)
花火大会 (はなび)
今、大曲の花火大会が有名だが、かつて横手で全国花火大会が行われていた。
夕方、駅から蛇の崎までぞろぞろと人の列が続くのを覚えている。
川原も桟敷も一杯になった。
ブルーノ・タウト (ぶるーの・たうと)
ドイツの建築家
ブルーノ・タウト著、篠田英雄訳「日本美の再発見」(岩波書店・昭和37年増補改訳版)には横手のかまくらについて詳しく書いてあるそうです。関心のある方は読んで見ると面白い事を発見するかも。
雪は1メートル半から2メートルもある、だから家々の軒はおろか、二階にまで達することがある。雪はぬかって滑りやすい。その上を手押しのそりや馬ぞりが往来している。
カマクラを見に町へ出た。すばらしい美しさだ。これほど美しいものを私は會つて見たことももなければ、また予期もしていなかった。これは今度の旅行の冠@だ。空には冴えかえる満月。この情景を想い見るには、読者はありったけの想像力をはたらかせねばならない。私達がとあるカマクラを覗き見したら、子供達は世にも真面目な物腰で甘酒を一杯すすめてくれるのである。こんなときには、大人は子供達に一銭を与えることになっている。ここにも美しい日本がある、それは−−−およそあらゆる美しいものと同じく−−−とうてい筆紙に尽くす事はできない。」
→かまくら
[←先頭へ]ふるさと村 (ふるさとむら)
秋田ふるさと村
梵天 (ぼんでん)
旭岡山神社のぼんでん
2月17日
サイト内「旭岡山神社梵天奉納」ご覧ください。
ほかのぼんでんと比較して飾りが数段に華美で豪華に作られている。
旭岡山神社の梵天は決して飾り梵天ではなく、そのエキサイトしていた事は、明治18年2月に 訓導の鈴木清枝から秋田県令宛てに出された御伺い書や回答書から解るという。
一例梵天奉納の際の押し合い時に、梵天のサガリの部分に触れることは厳しい法度になっておったという。
ぼんでん作成基準
竿の長さ 440p
竿の先 21p
籠の大きさ(直径) 90cm
ぼっち (辺) 180cm四方
さがり 270cm
はちまきの長さ 530cm
はちまきの太さ 15cm
頭飾りの標準
高さ 136cm
底辺 120cm
昭和52年に定められたとする基準であるがこれは、あくまでもコンクールの為の基準と思われる。
@はちまきは右締めとする。
Aボッチの三角が正面に向かないようにする。
ま |
マリア園 (まりあえん)
幼稚園・保育園
どちらかよく違いが解らないのですが。
自分が入ったのが、仏教系「上宮幼稚園」だったので、子供の頃から
ちょっと不思議な感情を持っていた。
クリスマスの時だけは、うらやましく思っていた事を覚えている。
近くに見ていた唯一の外人が、神父さんだった。
見入野 (みいりの)
横手高校の在る地域。
旧制県立第3中学 → 見入野高校 → 横手高校
見入野丘
学校から御所野まで、よくランニングした。
餅まき (もちまき)
[←先頭へ]
や |
焼きそば屋 (やきそばや)
すぐ近くに神谷焼きそば屋があったから、確かに子供の頃もいったが、普通は自分の貰う小遣いでは食べられなかった筈だ。
やはり中高校生になってから、クラブの帰りなどに寄った。学校の近くや前郷に結構在った筈。
「横手焼きそば」と今、大騒ぎしているがどうゆうものか。
焼きそばとして、美味しいというだけでそれ以上では有り得ない。
横手にもいろいろ工夫して食べ物商売をしている方が居る訳だから、役所までが「横手は焼きそばだ!」と謳うのは、いかがなものか。
屋根の雪下ろし (やねのゆきおろし:ゆぎおろし)
[←先頭へ]
山川の屋上 (やまかわのおくじょう)
かつて横手で唯一の屋上の在るコンクリート造りの商店。
遊具で遊べたし、小鳥の大きな家などもあった。
小学生の時は隣りに友達のうちがあったので良く遊びに行ってた。
高校生になっても行ったな、ゲーム機があった。
山と川のある町 (やまとかわのあるまち:横手市のキャッチフレーズ)
石坂洋次郎の作品。
教師時代の横手が舞台となっており、映画化され、ロケも行われた。
題名が横手市のキャッチフレーズとなっている。
有名人 (ゆうめいじん)
かつて横手には、色々な有名人がいた。
「たなかのあんつぁ」
「とらさん」
などなど
知ってる人は知っている。
それぞれ解説したい位、ユニークなキャラクターの持ち主。
雪 (ゆき:ゆぎ)
[←先頭へ]
横手 (よこて:よごで)
川の横土手?
秋田県の県南地区に位置する。
人口・・・4万数百人
世帯数・・・1万3千7百数十世帯
横手公園 (よこてこうえん)
通称「お城山」がある公園。
春は桜が素晴らしい。つつじも綺麗。
昔はボートを漕いだ牛沼、辺りには枝垂れ桜があり、バラ園・菖蒲園があったりなごむ場所である。
そしてスキー場に明永沼・簡易保養センター・日帰りセンター・市営球場もある。
広さは東北一とか?
横手市消防団 (よこてししょうぼうだん)
団長 太田 悦郎
副団長 伊藤 鐘吉、 加賀谷正悦、 藤谷 正作
全 33分団
→第2分団、 消防団員の安全と健康、 規律訓練、 消防訓練大会、 小型ポンプ操法
[←先頭へ]横手ばやし保存会 (よこてばやし)
横手の夏祭り、「送り盆」といえば屋形舟と横手ばやし
現在11団体、役200名のメンバーで伝統を守り続けています。
平成13年10月に再結成し、普及発展をめざし活動盛ん!!
事務局・・・菓子さん
→送り盆、 屋形舟、 蛇の崎橋、 サイサイ、 さいさい、 送り盆まつり
[←先頭へ]ら |
流雪溝 (りゅうせつこう)
冬に大活躍!
通常の道路の側溝を改造したものと考えてよいだろう。
積雪時に河川などからポンプアップした水流によって、投げ入れた雪を川まで流す仕掛け。
道路の除雪には確かに大活躍しているし、役立ってはいるが問題も大いにある。
水が溢れ家屋に浸水なども厳冬期にはある。
第一に、高齢者家庭では肉体的精神的負担が大きい。
利用出来る時間帯が限られている為に、かなり生活仕事に影響がある。
流雪溝は時間と体力があれば、将来も使える仕組みとは思うが、ここ数年で問題が持ち上がると思う。
間違いなく周囲に若者がいない。除雪をしているのはほとんどが 60歳以上。
道路の雪をすっかり片付けるために、老人に重労働を強いるのは如何なものか?
流雪溝利用組合連絡協議会 (りゅうせつこうりようくみあい)
会長
土田徹夫氏
事務局
横手市建設部土木課総務係 32−2111(内線452・453)
輪行 (りんこう)
自転車での旅行方法の一つ
輪行袋に自転車を分解していれ、担いで列車などに乗り込み
現地で組み立て、サイクリングをする事。
一泊すれば、だいぶ遠くを走る事が出来る。
いろいろ行ったね。
楽しかった。
三陸白浜の「うに」 美味かったな、ビール飲みすぎたよ。
→MIST
[←先頭へ]わ |
わ (わ:自分・・・あれ?)
自分の事を横手弁で 「わ」 と言う。
「自分はどうなの?」と言うのを、「わはよ?」 とか 「わよ?」と言う。
「我」 「吾」 と 言う事なのだろうか?
私の標準口語は、横手弁である。